追伸
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あやちゃんは何を見て
「美しい」
と感動するだろうか?


そうだな
わたしなら
山肌に反射する夕日だとか
グランドキャニオンの静寂だとか
深い森の中で聞く蝉時雨だとか
そういうものの中に
心震えるような感動を覚えるよ


その感覚というのは
人それぞれだと思うけれど

あなたが見つけたその「美」は
あなたの中に宿っている「美」なのだよ

それは「内なる神」と等しいもの

そういうことなんだ
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たとえば

コンビニに並んでいる食料が
まったく食べ物に見えなくなる

それは食べ物の形をしたオモチャのよう

現実にフィットしないという感覚

次元にズレが生じ始めているサイン


この世を好きなようにデザインできるとして
なぜ望んでも無い世界があたりを包んでいるのか


とか思うよね


それは「この世」は望んだもの
というよりは
「信じたもの」で出来ているから


すっかり「そう」だと信じたものが
現実になって押し寄せてくる


信じた思いを発し
遠くへと伝播し
また跳ね返って寄せてくるんだ


世界の反対で起きている紛争も
「私」が信じて発した思いが
伝播して起きている


信じられない?

小さな波が沖に行くに従って大きくなるのを
目にしているんだ

やがてそれはまた
こちらに寄せて返ってくる
「私」にとって現実的なサイズになって

だから
自分が何を信じているのか
注意深く観察することが大切なんだよ


たとえ私たちが
「大いなる存在」「神」「グレートスピリット」
そのように呼ばれる『1』の端末であり

全てを内包する者であり
万能の自由意志を持つ者であり
創造者としての権利のある者であり
完璧なる者であるとしても


『1』への畏怖の念、感謝の念を忘れて良いわけではない

それは大地に根を張っていない樹木のようなものであり
単に花瓶に挿された生花のようなものに過ぎない

見てくれは完全なようでも
いつかは枯れてしまう


だから
つながるんだ

どんな瞬間も

全体への感謝と共に


すると

その愛の深さを
その偉大さを
その深遠さを
全身で感じ取れるよ

その『1』につながっていることで

私たちは枯れることなく
永遠に「開いて」いることができるのだから




自分との信頼関係が戻ってくると

色々と面白いことが起きてくるよ


たとえば
何か問題を抱えていたりして、どうして良いか分からない、という状況にあったなら


自分に答えを求めてみるんだ


そうだな

目をつぶって
胸のあたりに手をおいて

「この問題をどう解決したら良いのか教えてほしい」

と、そっと
心を込めて呟いてみて


すると
何らかの形で答えがやってくるようになるから


たとえば、ふと目にとまった新聞記事とか
リンクから誘導されて着いた先の見知らぬブログとか
カフェで隣に座ったカップルの会話とか

まあ
そんな感じで答えがやってくる


すると
ますます信頼関係は強まっていくんだ


この時気をつけなくてはいけないのは
答えを「期待しない」ということ

すぐに答えを求めたり
「多分こんな風に答えがくる」と予想をしたり

そういう期待を手放しておくことが大切だよ



忙しいとか、時間がないとか

そういう理由で大抵一日がマッハで過ぎてしまうわけだけれど、やはりどこかでふと立ち止まり、内なる自分と会話する時間をとるのが好ましいと思う

信頼関係を回復し
そして強く結ばれていくのだ

自分と

そして肉体と


余計なものを
とことん削いでいくごとに近づいて行く

コアへと

無条件の愛を放つとは
ジャッジを手放し
ただすべてを受け入れるということ

必要以上に愛おしむことでもなく
嫌々取り繕って「正しい親切心」を発揮するでもなく

ただ目の前の事象を「ありのまま」として了解すること

それは空気に似ている

私たちが生きるために
それはただある

「あいつはムカつくから空気を薄めてやれ」などということはないし

「君は可愛いから澄んだ空気で取り囲んであげる」などということもない

ただ私たちのあり様をそのまま受け止めて
空気その身を惜しげもなく与えているのだ

理由はない

ただこの宇宙はそのように無条件の愛で循環しているということでしかない

エゴでジャッジをすれば、全ての均衡が狂ってくることを知っているからだ


「あなたはそれでいい」
「わたしはこれでいい」

つまりそういうこと


目の前の事象に心乱されまどろみに沈んでしまいそうになったら
そうつぶやいてみよう

「あなたはそれでいい」
「わたしはこれでいい」


人生を好きなようにデザインしていくためには
「自分」を投影している「この世」のシステムを体感的に理解する必要があるんだ

この
つねに振動している世界を……


たとえばムカデが手のひらに乗っている様子を想像してみて……


どうかな?

どんな感じ?


わたしなら、
1)「後頭部と背中の上の方が冷たくなって、キューッと力が入って、胸の辺りがムカムカとする感じ」
がするな



じゃあ次に
手のひらにヒヨコが乗っている様子を想像してみて


どうかな?

どんな感じ?


わたしなら
2)「口の噛み合わせの力が緩んで首の辺りが温かくなる感じ」
がするよ



どう?
できたかい?


この1)とか2)のような「感覚」こそ
「わたし」という受信機がキャッチした、ムカデやヒヨコの発する振動なんだ


こうやって
「この世」にあるものすべての振動は、「自分」という受信機を使って「感覚」という言葉に「翻訳」することができるんだよ


もちろんあやちゃんとわたしという受信機は、それぞれに違う作りになっているから、振動もそれぞれに違うふうにキャッチすることになるだろうね

それは「わたしの宇宙」と「あやちゃんの宇宙」は違う次元にあるからなんだよ

誤解しないようにつけくわえるけれど、それは次元が高いとか低いとか、という話しではないよ

つまり「わたしが体験している宇宙」と「あやちゃんが体験している宇宙」と「あの人が体験している宇宙」はまったく違うものだ、ということ


おっと
話しが広がり過ぎたな


この辺のことはまた今度にしよう


話しは戻して
しばらくの間、この「翻訳」する作業を練習してみると良いよ

あやちゃんの宇宙が、どんな振動で「ある」のかを調べてみよう



今日はスマホからアップのテスト

なんか落雷でPCいっちゃったのね~

面白い(笑


おかげで使いたい時間が増えた

望み通りに
ちゃんと反射してる


よしよし

人間て四六時中何か考えているよね
それもすごい雑然とした感じに

でもこの「意思する力」を意識的に使うようになると
色々面白いことが起きてくるよ

何かに意識をあてている時
それはその対象物に力を与えているようなもの
そしてそれが反射してこちらに帰ってくる、という寸法だ


つまり今いる状況を見渡してみれば
何を思っていたのかが丸裸になって分かってしまう、
ということでもあるよね


面白い

逆から言えば
意識のあて具合によって
人生をデザインできるということでもあるんだ


まあ
面白くいこう

ちゃんと繋がってて面白いな

という出来事が加速度的に増えて来たのを実感するよ


「わたし」という事象が必要としていなくても
「あなた」という事象が必要としていたことを
「わたし」が引き寄せ
「あなた」に手渡す

ということも
全体で見れば

「1」において
必然必要なことがベストなタイミングでなされてるんだ
と、教えられる


すごいな

どこまで加速するんだろ


そしてどこまで連れてくんだろ?


わくわくするねえ

ぞくぞくするねえ

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